小樽のまちづくり運動と小民再の位置づけ

小樽のまちづくり運動と小民再の位置づけ

■小樽のまちづくり運動一覧(年代順)

  • 01.小樽運河を守る会「運河の保存」1973-1984
  • 02.ポートフェスティバルインオタル実行委員会「運河周辺のポテンシャリティを表現」1978-1994
  • 03.小樽育年会議所「歩こう。見よう。小樽ふるさとへの路。」1979-1992
  • 04.小樽ルネサンス21「新産業革命」1982-
  • 05.小樽市民会議「行政と民間の橋渡し」1982-
  • 06.小樽国際音楽祭「国際的なクラシック音楽の祭典」1985-2005
  • 07.小樽天狗山まつり「天狗山の活性化」1986-
  • 08.小樽ウィンターフェスティバル「冬の祭典」1985-1997
  • 09.小樽再生フォーラム「運河保存の精神継承」1985-
  • 10.オタルサマーフェスティバル実行委員会「銀行街のポテンシャリティを表現」1986-1994
  • 11.能に親しむ会「岡崎家能舞台と能の復興」1986-2006
  • 12.小樽ワインカーニバル「ワインによるまちづくり」1987-
  • 13.後志群族秋の収穫祭DOSA実行委員会「後志地域の独自性による活性化」1989-1993
  • 14.小樽運河ロードレース「健康増進」1989-
  • 15.小樽いか電まつり実行委員会「手宮地区の活性化」1990-2011
  • 16.なんたる地域振興実行委員会「南小樽地区の活性化」1990-1996
  • 17.松前神楽保存小樽後援会「伝統芸能の維持」1992-
  • 18.小樽職人の会「職人技術の復興」1992-
  • 19.小樽東海岸よろしく見本市「銭函誘致企業と地場企業との交流」1992
  • 20.小樽フロンティア21「北海道鉄道発祥の意義の普及」1993-
  • 21.北海道中小企業家同友会小樽支部育年経営者懇談会「小樽の歴史小冊子」1993
  • 22.後志建設事業協会フォーラムと未来塾「後志のまちづくり家育成」1994-
  • 23.小桙塾「商都小樽の復活」1995-
  • 24.小樽灯りの市「硝子のまちづくり』1996-2010
  • 25.北海道開拓鉄道協:会「小樽交通記念館開館セレモニー」1996
  • 26.小樽まちづくり協識会「旧手宮線の活用」1996-
  • 27.小梅観光誘致促進協議会「観光の振興」1998-2007
  • 28.小樽雪あかりの路実行委員会「冬の風物時」1998-
  • 29.廣井勇・伊藤長右衛門胸像帰還実行委員会「歴史偉人の頭乾」1999
  • 30.音座なまらいぶ小樽「バンド活性化」1999-
  • 31.小樽・鉄路・写真展「写真と手宮線によるまちづくり」2000-
  • 32.NPO法人潮騒の街おたる「水辺を生かしたまちづくり」2001-
  • 33.内山賞の会「後志のまちづくり支援」2001-
  • 34.後志飲食祭「後志の食文化発掘』2001-2002
  • 35.NPO法人ゆらぎの里づくり協会「朝里地区のまちづくり」2001-
  • 36.NPO法人北海道職人義塾大学校「職人技術の伝承」2001-
  • 37.小樽鉄道写真展「露天会場による写真展」2001-
  • 38.NPO法人小樽トラスト「歴史と文化のまちづくり」2002-
  • 39.NPO法人小樽・朝里のまちづくりの会「朝里地区の活性化」2002-
  • 40.小樽観光ガイドクラブ「観光ガイド」2002-
  • 41.小樽おもてなしボランティアの会「観光ガイド」2002-
  • 42.後志フードフェスティバル「後志の農業と料理人による地産地消」2003-
  • 43.小樽はしご酒大会「夜の花園活性化」2003-
  • 44.NPO法人歴史文化研究所「歴史を未来の資源に」2004-
  • 45.おたる浅草橋サマーフェスティバル実行委員会「市民と運河の関係強化」2004-
  • 46.筋実行委員会「港の活性化」2005-
  • 47.後志餗街道普及実行委員会「後志広域観光プログラム」2005-2007
  • 48.小樽教育旅行誘致促進実行委員会「教育観光プログラム」2005-
  • 49.小樽さくら祭り「花園銀座街夜の活性化」2005-
  • 50.後志・小樽ハエヌキ音楽祭実行委員会「北海道サウンド創出」2006-
  • 51.後志収穫祭「地産地消促進」2006-
  • 52.小梅観光大学校「観光人材育成』2006-
  • 53.北海道中小企業家同友会しりべし・小樽支部「地域頁献型ビジネスモデル創造」2007-
  • 54.本武揚没後百周年記念小樽実行委員会「歴史の頭乾」2007-
  • 55.北海道千年の森プロジェクト「小樽の主木であるミズナラなどの広葉樹を植林」2007-
  • 56.小樽祝津にしん祭実行委員会「鉄を素材にした文化経済の活性化」2008-
  • 57.小樽ワークス「坂牛部の再生とアートなまちづくり」2008-
  • 58.旧岡崎家能舞台を生かす会「能舞台利用促進と再建」2007-
  • 59.祝津たなげ会「祝津の活性化」2008-
  • 60.小樽遊幻夜会「振興芸術と和の文化」2008-
  • 61.NPO法人北海道鉄道文化保存会「鉄道文化のまちづくり」2008-
  • 62.小樽産しゃこ祭(小樽観光協会)「小樽産しゃこの付加価値向上」2005-
  • 63.NPO法人歴史文化研究所小樽學刊行「小樽自立コンテンツ」2009-
  • 64.現代版北前船プロジェクト「北前船ビジネスモデルから地域間交流」2009-
  • 65.小樽伝統文化の会「伝統文化のまちづくり」200g-
  • 66.小樽浅草橋オールデイズナイト「オールデイズナンバーとまちづくり」2009-
  • 67.小樽がらす市「手宮線と硝子のまちづくり」200g-
  • 68.手宮公園樽再生プロジェクト「桜の保守」2010-
  • 69.北海道ジャズ「ジャズとまちづくり』2010-
  • 70.堺町にぎわいづくり協議会「堺町活性化と浴衣文化促進」2009-
  • 71.小桜ロングクリスマス(小樽観光協会)「冬場観光活性化」2010-
  • 72.小樽AKYプロジェクト48「あんかけ焼きそば普及」2010-
  • 73.NPO法人小樽民家再生プロジェクト「古民家再生」2012-
  • 74.NPO法人0BM「観光戦路と北運河再開発」2012-
  • 75.NPO法人小樽ソーシャルネットワーク「まちづくり事業による小樽活性化」2012-
  • 76.NPO法人VisitotaruProject「社会教育を通した地域活性化」2012-
  • 77.NPO法人ワインクラスター北海道「ワインを通した地域活性化」2013
  • 78.小樽100年プロジェクト「歴史まちづくり運動と国の政策リンク」2019-
  • 79.第三倉庫ミーティング「北海製罐第三倉庫保存運動」2021-
  • 80.NPO法人猫のシェルターAriel「ペットと暮らすまちづくり」2021-
  • 81.小樽百貨UNGA↑「北運河振興」2021-
  • 82.小樽北運河の会「北運河振興」2021-
  • ​83. 小樽民泊研究会「交流民泊推進」2018-
  • 84. たるBOOK「小樽に紙芝居の文化を根付かせよう」2018-
  • 85. 小樽100年プロジェクト「歴史まちづくり運動と国の政策リンク」2019-
  • 86. 第三倉庫ミーティング「北海製罐第三倉庫保存運動」2021-
  • 87. NPO法人猫のシェルターアリエル「ペットと暮らす小樽のまちづくり」2021-
  • 88. キモノDE小樽「小樽今昔さんぽ」2021-
  • 89. NPO法人OTARU CREATE PLUS「北海製罐第三倉庫活用」2022−
  • 90. 和装街・小樽実行委員会「和装のまちづくり」2023-

【解說】

●異常されど正常
小樽では昭和40年代後期に運河問題が表面化し、昭和50年に小樽運河を守る会が発足以来今日(令和5年)に至るまで、90もの多くのまちづくり団体が誕生しています。そしてどの年も30〜40の現役まちづくり団体が存在しているのです。人口11万人そこそこの地域で、これほど多くの「志」による公的活動が存在するのは全国的にも異常です。
一方でまちづくり運動は一地域の「政治行政」「経済」「文化」の中に、「地域の自立」を浸透させる運動と考えていますので、一地域としてはまことに客観的な立場での志ですから、これほど客観的で正常な動きはありません。つまり小樽には正常なまちづくり運動が異常に多いのです。
●多い訳
北海道開拓は札幌の行政・小樽の経済の二人三脚で牽引されてきたといわれています。行政主導で進められて札幌のまちづくりは極めて整然として計画的でしたが、小樽の経済は港を活用した商業で、民の自主的活動を原動力として、まちづくりが進められてきました。その結果、小樽は明治から昭和初期には、商業インフラが整備され様々な商業が殷賑を極めることができました。
しかし昭和の戦前戦後を境に環境が激変し、昭和42年以来斜陽と呼ばれるほど、産業衰退と人口減少が続いていきます。ところが昭和後期には小樽運河保存運動が全国に発信されるほど時代の脚光を浴び、その成果として小樽観光が誕生してきました。ここでもまた民の自主的活動によって小樽運河保存運動が紡がれてきました。
このように小樽は民の自主的活動が原動力となって、昔も今もまちづくりを牽引しているといえます。
●証拠
昔の基幹産業であった港湾商業に関わった民は、小樽の商機に目を付けて一援千金を狙って艱難辛苦に耐えながら成功し今の価値で数十億円から1千億円(推定)を超える総資産を保持する商人が100人ほども存在していました。
今の基幹産業である観光業は、平成以後には700~800億円代の自主売上げを示し、30年間で2兆円を超える累積売上げを実現しています。
このように昔も今も民の志と努力が反映されていることが明白な証拠です。

■小樽のまちづくり運動の成果

●運河周辺
・小樽運河を守る会(1973-1984)
・ポートフェスティバルインオタル実行委員会(1978-1994)
・小樽運河百人委員会(1983-1989)
これらのまちづくり運動によって、ゴミ溜めの運河と空の倉庫で関係者以外立ち寄らない運河周辺は、小樽観光のシンボルとなり小樽は観光都市に舵を切るようになりました。現在の小樽運河は昭和61(1986)年に整備されています。また、その後の小梅のまちづくりに大きな影響をもっことになります。
●銀行街
オタルサマーフェスティバル実行委員会(1986-1994)
小樽の銀行街は戦時中を契機に産業衰退によって、次々に撤退が続き、夜間は街灯もなく暗い地区でした。このまちづくり運動によって、銀行建築群が見直され、夜間のライトアップ、レストラン、ショップ、ミュージアム、ホテルなどによって銀行建築群が再生されてきました。
●手宮線
小樽青年会議所0B義経・しづかランデブー(1980)
小樽ルネサンス21(1982-)
小樽フロンティア21(1993-)
北海道開拓鉄道協議会(1996)
小樽まちづくり協議会(1996-)
小樽雪あかりの路実行委員会(1998-)
小樽・鉄路・写真展(2000-)
小樽鉄道写真展(2001-)
NPO法人北海道鉄道文化保存会(2008-)
小機がらす市(2009-)
手宮線の関しては実に多くのまちづくり団体が志をたむけてきました。
これらの運動から、JR北海道が有していた手宮~寿司屋通り約1.6kmを、平成19年から順次小樽市が買い上げ、平成28年に鉄路を残した散策路として整備されました。
●北運河
廣井勇・伊藤長右衛門胸像帰還実行委員会(1999)
NPO法人OBM(2012-)
小樽青年会議所北運河ルネサンス(2016-)
小機百貨UNGA↑「北運河振興」(2021-)
小樽北運河の会「北運河振興」(2021-)
小樽運河の北側約400mは大正12年竣工の運河の原形を留め、護岸や散策路が整備され、旧日日本郵船と運河の間に小樽運河公園が設けられました。しかしこの地区は先行した堺町や南運河のように、観光客が足を運ぶことが滅多にありませんでした。ところが運河の原形保持に加え、北前船倉庫3棟が片寄せて並び、重要文化財の手宮鉄道施設、北海製工場群といった小樽の歴史聖地であり、手宮公園、色内埠頭公園に囲まれた贅沢な自然環境が顧みられ、 市民が愛する新たな観光拠点にすべく議論が進んでいます。
●第三埠頭
小樽塾(1995-)
舫実行委員会(2005-)小機商工会議所港湾振興プロジェクト(2011-)
小樽港は昭和26年「重要港湾」に指定されて以来、港湾関係者が忙しく働く地区でしたが、昭和40年代から小樽港が寂れていく過程で、市民が釣り糸を垂れ、カップルが海を眺めるコースなどにもなり、平成23年「外航クルーズの日本海側拠点港」、つまり物流から人流に第三埠頭が国から位置づけられ、小樽市も大型クルーズ船が着岸できるように、整備工事が進められてがいます。小樽は小樽港によって発展した歴史を持つことから、港は一部の産業によるアンタッチャブル (手を付けられない)な領域でしたがこれらのまちづくり運動によって世論や経済界も次第に人流を認識するようになったといえます。
●祝津
後志鯟街道普及実行委員会(2005)
小祝津にしん祭実行委員会(2008-)
祝津たなげ会(2008-)祝津地区は練文化遺構の宝庫です。練御殿、旧白鳥番屋、茨木家、茨木家中出張番屋、旧青山別邸などの建築群、そして鰊業の様々な道具や逸話が満載です。
北海道西海岸はほとんどで鰊資源で集落が誕生していますが、その中でも祝津の練文化の集積と原形維持は群を抜いています。まさに小樽の原形は祝準にありと言っても過言ではありません。これらのまちづくり運動によって、祝津地区の住民も応援するようになっています。
●ガイド
小樽観光ガイドクラブ(2002-)
小樽おもてなしボランティアの会(2002-)
小樽観光大学校(2006-)
「おたる案内人」ボランティアガイドの会(2018-)
小樽観光の満足度でいうと、ガイドのあるなしで大きく違ってきます。なぜなら小樽の目に見えない近代史物語こそが小樽独自の観光資源だからです。そしてガイドは交流観光の大切な契機です。ガイドを聴いてどんどん小樽を深掘りしていくことこそ、小樽観光の醍醐味です。【写真25:平成18年おたる案内人公式テキストブック】このように小樽の様々なまちづくり運動は、かっての実態を大きく変えると同時に、世論を形成してきたことから、自然な変革となって時を刻んでいます。
これがもし先見の明を発揮した経済行為(投資をしてビジネスを行う)だけですと、客層イコール世論ですが、そう簡単に客層が伸びない場合は、資金的に耐えきれず撤退するケースが後を絶たなかったと思われます。
ところが小樽で歴史的建造物の再利用で先見の明あるコンテンツを吹き込むと、すでにそれを喝采する世論が土壌にあるため、誠実であれば持続可能なビジネスモデルになる可能性が高いのです。
マーケティング用語に「シーズとニーズ」という概念があります。「種蒔き」と「刈り取り」といわれます。小樽のまちづくり運動は「シーズ」、小樽への観光投資は「ニーズ」と位置づけるとわかりやすと思います。
いずれにしても、小樽のまちづくり運動が投資のチャンスを地均ししていると考えれば筋が通るはずです。これら影のまちづくり運動を無視して、あるいは無償のシーズを無視して、「俺の商売はうまくいっている」といった意識は、砂上の楼閣、裸の王様、自惚れ以外の何者でもありません。

■小民再の位置づけ

●前代未聞構成のスタッフ
令和5年現在、小民再の理事・会員総勢23名のうち、なんと10名が小樽在住ではないのです。小樽の歴代90のまちづくり団体で、小樽以外のスタッフがこれほど多く関わっているのは小民再だけです。この現象は、小樽まちづくりが持つダイナミズムを自分の人生のときめきとしたライフスタイルになっているといえるでしょう。そうなのです。小樽らしい観光都市あるいは移住都市を築く運動そのものが、個々人のライフスタイルになっていく、つまり公私一体が小民再の目指すところなのです。
●行政には不可能な活動。
小民再は空き家古民家に移住者を呼び寄せ、ユニークな起業を促す運動をしていますが、この狙いを小樽市も同様に抱いていても、人を見て拒否することはできません。小民再では「運動マッチング」の段階で、「投機目的」「闇営業目的」「安価目的」など「小樽のまちづくり」に無関係な相談者を明確に拒否しています
たとえば小民再ホームページにアクセスしてくる方々が10人いたとしましょう。「運動マッチングなんて面倒だ」と思い以後レスポンスがない方が3人、実際に運動マッチングに訪れても依存心が強い方が3人、したがって残り4人の方が「是非よろしくお願いします。自分も自分なりの起業モデルを構築します」と前向きに関わり続けています。つまり「公私一体」がここで抽出でき、良民誘致が可能になります。
この結果、振るいにかけて40%の確率で、小樽のためになる移住が可能になっています。
●蟻の一穴
小民再では毎年数回の相談会を開催してきましたが、空き家古民家利用希望者のみが相談に訪れ、空き家古民家所有者が訪れない傾向が続いたため、需給バランスがとれなくなりました。小民再スタッフで日々、空き家と思われる古民家にチラシをポスティングしてきましたが、一向に問合せがありません。そんなとき、成年後見人を任ずる士業の方から「この物件の所有者が亡くなったので」との相談が寄せられました。「こういう寝技があったか」と思い、小民再では「成年後見人」「終活NPO」「リバースモゲージ制度を持つ銀行」などにアプローチし、小民再マター物件が寄せられるようになりました。もちろん小民再に詳しい知人から寄せられる物件もございます。まさに問題意識を持ち続けたときの蟻の一穴から希望の光が差し込まれました。つまり問題意識を持ち続けるとサムシング・グレイトの窓が開くのです。
●まちづくりの模索
コロナ禍は数年の忍耐、AI革命は一生の忍耐、異常気象は地球全体の忍耐あるいは絶望が伴います。小樽はインバウンドも多数訪れる全国有数の観光地ですので、コロナ禍では散々な目に遭遇しました。令和3年秋には終息に向かい、次第に観光客が戻ってきています。
AI革命が進行すると身のまわりがデジタル機器で溢れていき、アナログの醍醐味を特徴とする観光への需要が高まります。ところがAI革命で失業したため観光資金がありません。ならば住みたい地域に移住すれば交通費も宿泊費も不要だし、仕事はテレワークなら問題ない、と考えますが、移住となれば慎重を期すのは当然、だから仮移住で問題解決をしてから移住しよう、となります。

 

次に異常気象が頭をもたげます。地震がしばしば起こり、大雨は続くし、夏の熱波も冬の寒波ももう懲り懲り、そう感じる地域は次第に増えています。自然災害の確率はどの地域にもありますが、これまでほとんどないに等しい小樽は、まことに安心できる環境です。実は科学者から見るとそうともいえません。だからどの国でもどの地域でも個個人の環境を考慮した心構えが起点なのです。一方小樽は冬期間の寒さと積雪は毎年です。異常気象直撃地域からの小樽移住希望は、ますます高まる可能性が大です。このようなパンデミック、技術革新、自然環境などの趨勢を見越して、小民再は仮移住の問題解決、移住後のコミュニティ参加などを共に支援するノウハウを蓄積しています。つまり先見の明を追求しています。

●NPO発信のビジネスモデル
NPO活動家は影、投資家は儲けて表、という構図はすでにガラパゴスです。小民再はNPOゆえに思いつく様々なビジネスモデルを展望しています。古民家活用ノウハウ蓄積によるビジネスモデル、空き家古民家処理と活用のビジネスモデル、宿泊時の交流ビジネスモデル、良民移住促進のビジネスモデル、既成概念を超えたオルタナティブなビジネスモデルなど持続可能型のビジネスモデルが種々展望されています。つまり小民再運動は新規起業の市場開拓といえます。
●小樽まちづくりの異色と客観性
ここに列挙した小民再の特徴は、数多い小樽のまちづくり団体においても異色です。小樽はまちづくり運動が多い意味で異常です。小民再はその中でも異色です。異常中の異色となれば、雲をつかむような存在に映りますが、既存の行政・経済・文化に信頼を蓄積し、しっかり浸透していることを証拠に、まことに小樽自身を知り、客観的な主張といえるのではないでしょうか。つまり異常中の異色が放つ客観性です。